二月二十二日、深夜一時、再びコルカタの空港に降り立った。空港の玄関を出ると、わっと寄って来る客引きや 乞食や訳のわからんガキンチョが今回はあまりいなかった。今までだとこのまま街中に移動してホテルに滞在という 事になるが、今回は初めての試み、来るまでシャンティニケタンまで一気に移動となる。 成田から飛行機を乗り継いで来たので、結構疲れている。これからまた来るまで五六時間掛かる。 一応、乗用車とは言えインドのアンバサダーはそんなに乗り心地は良くない。 また初めての道程なので何が起こるか判らないので、ぐうぐう眠っている訳にもいかないだろう。 取り敢えず高速道路が出来たらしい。「ふぅんそうなんだ。俺の知らない間にせっせと高速を作ってたんだ」と ちょっと騙されたような気持だった。郊外に出て高速道路らしきものに乗る。 私は前部座席に座って道なりを見ていたが、何だかとても危なっかしい。運転手も運転しにくそうだ。 なぜだろうと考えた。そうかアーク灯がないんだ。中央分離帯の塀もないから対向車のライトが直接目に入り、 非常に眩しい。道を見失いそうになる。必死に目の前の白線を追うしかない。昼間ならまだしも夜の高速は危険である。 高速と聞いていたから日本の高速のように管理され尽くしたものを期待していたが、やはりインドである。 全体に大まかで雑である。ただ突貫道路を作ったと言うだけの事だ。この道はデリーまで続くらしい。 この状況で二日も掛けて車を運転するのは大変な事だろう。それとも彼等は慣れているのか。
　日曜日の深夜から月曜日の早朝に掛けての時間帯である。コルカタを離れるこちら側の車線はそんなに混んでない。 ところがコルカタへ向かう車線は大変に混んでいる。それもほぼ大型トラックである。 何十キロも途切れずに延々とトラック軍団が続くのである。こんなに大量の物資がコルカタに流れ込んでいるのかと、 その現実を見て唖然とした。国が大きく動いている証拠である。 インドが経済大国になりつつあるというのは嘘ではないようだ。 私はこの何十年間、コルカタ-シャンティニケタン間は列車でしか移動した事がなかった。 車窓からみるベンガルの風景はそんなに変わらなかった。少し町を離れると広々とした水田が広がり、 農夫たちが黙々と作業をしている。いつも変わらぬ風景だったので、それがインドだと思っていた。 だが私の知らないところでインドは変わっていた。もう一つ大動脈が出来ていて、主役はそちらに代わっていた。 私にとって新しい発見だった。だが同時に思う事はこれだけの物資が投入されると言う事は それだけのエネルギーが掛かり、それだけ消費されて行くという事だ。 大量消費が無秩序に増長される結果を憂慮するのである。 先進国が踏んだ過ちをまた彼らが犯すであろうと私は憂いている。

速　報
　今年の花見は四月五日の二時からとなりました。杉並区の善福寺川緑地帯です。 平日（月曜日）ですので、堅気の人間は参加しにくいと思いますが、ちょっとだけ会社を抜け出して遊びに来なさい。 最近ほんとタイミングが合わなくて、早すぎてすごく寒かったり、 逆に遅すぎて枝先に微かに残った花弁を見る羽目になったり、なかなか設定が難しいところですが、 取り敢えず四月五日とします。参加出来そうな人はご連絡を。場所等の詳細をお知らせします。
　恒例の「善福寺公園」のピクニックは五月三日（祝・月曜日）となりました。 この件に関しましては改めて案内状を作ります。

それでは本題に戻ります。
　１ページからの続き。カルカッタの空港を出て（最近はコルカタと呼ぶ方が正式名称になったらしい。 わしらの時代はカルカッタと言う方が馴染みがある。 訳の判らん前衛ヒッピーオペラの『オー　カルカッタ』は今風に言えば『おーこるかた』となる訳である。 もともとベンカル人はコルカタと呼んでいてわしもベンガル語を喋っている時は昔からコルカタと言っていたから、 わしの中では矛盾はない。ただ最近の人が疑問を感じず『コルカタ』と言うのは、 既に第一情報源が「コルカタ」という新時代の情報に成り立っているのかと時代の誤差を感じざるを得ない。 国鉄（酷鉄）を今の人はＪＲと言う事に何の疑問を感じないと同じ事か。 それにしても日本国有鉄道を無機質にＪＲと呼称するネーミングのセンスのなさには絶望的な思いがするが。 とにかく一昔前は「ダムダム空港」で通じていたあのくそったれ空港は最近はＮＣＢ空港と名称が変わったらしい。 ＮＣＢとはNetaji Chandra Boseというインド独立の時に活躍したベンガル人の英雄の名前である。 誰がそんな事知るか。わしは知っとるけど。この辺の話は面白いからまたそのうち。 　とにかく到着したのは二月二十二日、日曜日を過ぎて月曜日になり掛けた時間帯、 イミグレーションやら税関の手続きを終わって外に出たのは深夜一時半くらいか。 昔はイミグレーション通過するだけでも二時間くらい掛かっていたが最近は多少合理的になってきた。 税関もあまりごちゃごちゃ言わないで通してくれる。 ボールペンやらライターやらタバコやら何か欲しがっていた係員たち。 インド人よ。自分の国を偉そうに自慢するならあいつらの乞食根性を何とかしてくれんか。 今回ひとつだけ失敗した。税関を出たところで窓口銀行があると思っていたが出てみたら何もない。 深夜　どこも閉まっている。税関を出て目の前に小さな換金所がありそこを通過してしまったらどうしようもない。 ルピーゼロのまま巷に放り出されてしまうことになる。 幸いにしてわしは去年からの持越しのルピーを五千ルピーほど所持していたから当座の金はなんとかなった。 情報のない初めての旅行者は一体どうすればどうすればいいのだ。 そんな気苦労は一切感知せず同行者は危機感もなく呑気なものだ。おまえら、今度はひとりで行ってみろ。
　空港の外に出ると手配していた車の運転手がわしの名前を書いた紙を表示していた。 事前の根回しが効を奏するわけだが同行者は金魚のウンチみたいにただとことこと着いてくるだけだ。 あたかも全て手配されているのが当り前かのように。まあ　そんな事はどうでも良い。 運転手は中年のおっさんで気の良さそうな奴だ。ただわしにヒンディ語て喋り掛けてくる。 わしはヒンディ語は解らんちゅうに。ベンカルにいるんだったらベンガル語喋れっちゅうんぢゃ。 まあ　そんなこんなで長い旅のの出発進行。
シャンティニケタンまでは四時間か五時間くらい。 夜明けくらいには着くだろうと言う話初めての路線だから状況を見ていなければならない。 途中ウトウトしながら真っ暗なベンガル平野をひた走っていく。途中の状況は１ページに書いた通りだ。 高速と言いながらも日本のように途中　パーキングエリアなどある訳ではない。小便をしくなる事もある。 わしは男子だから道路脇で用を足す事はやぶさかではない。女子はちょっと困る。 やはりコブラに尻を噛まれて行方不明になった者が二三人いたがわしは置き去りにして道中を進めた。 わしは非道な人間である。来年参加希望の者たちはそれを肝に銘じて置くように。
　真夜中に出発してずっと暗闇の中を走り続けている。進路の前方に月が登ってくる。 十日目程の月でまだ光が弱く存在感がない。四時半　五時くらいになるとあたりの闇が少しづつ青みを帯びてくる。 ほんとに微かながら空は白み始めてくる。木立ちや家並や地平線が徐々にその姿を現し始める。 五時半くらいになると人々の活動が始まる。まだ空は半開き。ようやくビルブームという地帯に入っていく。 この辺の地名や川は昔通ったような気もする。運転手は一度この道を通っているしうちの家も知っているらしいから 細かい指示も必要なくお任せである。 ようやくシャンティニケタンに到着して最後の角を曲がる時　向かいの森から真っ赤な太陽が登ってきた。 それは感動的だった。この年になるまで何度か徹夜した事がある。わしは徹夜は大嫌いである。とにかく疲れる。 精神も肉体もだらっとしたヤニのようになる。だから出来る限りやりたくない。健全な市民は徹夜などしてはいけない。 毎日健やかに安全に心地好く眠るべきである。
　たぶんこれはわしの初めての体験であろう。 漆黒から東雲　暁　夜明けという地球の今日という日の幕開きをしっかりと目の当たりにしたのは。 部屋の中や飲み屋で朝を迎えた事はあるがそれはあくまで人工的な空間であり、望むべくして起こった訳ではない。 今回は移動中の車の中と言う条件はあったにしても車窓の外に広がる地球のドラマは紛れもない真実である。 後部座席の同行者はどうしていたかは知らない。どうせ鼻提灯で高鼾を掻いていたのだろう。馬鹿な奴等である。 この地球の壮大な黙劇に固唾を飲んで見詰めるほどの状況判断はしていないだろう。 あの素晴らしき体験をどうして見逃すのか。 ドラマのフィナーレは目的地に到着した時に登り始めるギラギラト燃える太陽である。 思うに地球が出来てからのこの４６億年、人間が誕生してからの６００万年、７００万年、 同じ事の繰り返しであり朝は毎日訪れ　無限大のひとびとがそれを体験している筈なのに、 わしにとっては初めての体験だった。その感動を次回は誰かと共有したいものだ。

『ふざけるな！タイ航空』
たぶんこの三十年か三十五年間　私はタイ航空を愛用している。 インドに入る航空会社は数多くあるがカルカッタに入る国際線というのはそんなに多くない。 当のエアーインディアが日本−カルカッタに飛んでないのだから。 第三国　例えばバングラデッシュとかシンガポールとタイとかそんなものである。 その中で私はタイ航空が一番好きだった。飯も旨いし酒も只、おねぇちゃんも綺麗で気立ても良かった。
　１９７３年にインドに行ってそれ以来、タイ航空にはお世話になっている。 以前はとにかく出発するだけでも大変な事だった。信じられない話も数多くあるがそれはまた別の機会に。 最近はチェックインのシステムも合理的になり以前のようなトラブルも少なくなった。だが油断をしてはいけない。 とにかく到着も出発も最悪の時間帯てある。到着は深夜一時、町の機能がまったく動いてない時間帯である。 それに対するケアーがあるかと言うと全くない。出発は深夜二時近くである。 夜の十時頃にホテルをチェックアウトして空港に向かわなければならない不便な時間帯である。 乗客の不便さよりも航空会社の都合を優先しなければならない幾つかの事情があるのだろう。
　あの空港　何が起こるか分からないから早め早めの行動が必要である。 イミグレーションとセキュリティーを無事通過するとそこで一二時間　まったく何もない待合室で待機する事になる。 国際空港でこれほど何も無いのも珍しい。ただ蚊だけはわんさかいるが。 おい、インド人！お前ら　文明国家だったらこの蚊だけは何とかせえよ。
　まあ、それで無事飛び立つ事になる。路線がインド−タイだからベジタリアンも沢山いる。機内食は二種類ある。 インド人用のベジタリアン、一般人用の鳥肉のなんとか。酒は一応只である。今回座ったのが後部座席の方だった。 前方から機内食が配られていく。「ベジ？ｏｒ　ノンベジ？」とシュッチワーデスが聞いている。 私は当然「肉　食わせろ派」である。ところが私の手前で「肉」が無くなってしまった。 私は「肉！肉ぢゃ！」と主張したが「申し訳ありません。お客様、肉は無くなってしまってこれしかありません」 と言う。「冗談じゃねえだろう。この客の中にはベジでもノンベシでもどっちでもいい奴が大勢いるだろ。 そいつらにベジ食わせて　俺の為にノンベジ残して置け」って言いたいのだ。十日もカレーしか食ってないんだぞ。 なんで俺の為にチキンを残しておかんのか。その位の配慮というか思慮はないのか。 この馬鹿たれ　タイ航空が！ なんの罰でこの俺が「二種類の豆の煮込み」をボソボソと食わなければならないんじゃ。金返せ！

で、本題　『史上最悪のフライト』
　バンコックから成田までの話。 バンコックのどうしても覚え切れないとてつもなく不評の空港を出発するのが夜十時半くらいか。 その為にホテルを八時くらいに出る。ホテルに待機している一般のタクシーを利用する。 空港までは５〜６００バーツくらいだと聞いていた。 運転手はタイ人にしては珍しく長髪でワイルドな感じのちょっとやばそうな若者である。 最初「メーターで行くか」か尋ねたら「ＯＫ」というから安心していたらそのうち「高速で行く。 ４００はバーツになる」と言うからこちらは了解した。ところがこのあんちゃん　途中でメーターを倒してしまった。 「やばい　法外な値段を吹っ掛けてくる。その上また高速代と言って４００バーツか」と内心気が気ではなくなった。 タイでは観光警察と言うものがあるからトラブルがあったら電話してやろうと密かな考えていた。 ところがこのあんちゃん思いの外　気の良い奴で、到着したら自分で言い出した４００バーツでＯＫだったし、 荷物も運んでくれた。外見怖そうだったが正直な奴だった。 　荷物預かりのおばちゃんが曲者だった。 こっちはイスラジ二台を一括りにして荷物一個だと言ってるのにこれは二個分だと勝手に決め付ける。 忙しいし外人慣れしてるし大きな荷物を預けるのはそこしかないので独占企業でやりたい放題である。 タイ人にもも時々こういうえげつない人間もいる。
　今回は人の依頼で特に荷物が多かった。たぶん５０ｋｇくらいは超えていただろう。 チェックインの時　超過料金を取られてしまった。しまった、油断をしていた。 今まで日本−タイ間で荷物のトラブルは起こった事はない。インドを経つ時は物凄く神経を使う。
それはある意味仕方ない事だと理解している。もし制限を厳しくしないとインド人はとてつもない量を持ち込んでくる。 その規制はインド人だけに適応させるべきでわたしらのような善良な外人一般客は見過ごすべきだ。 とにかく我々には我々の事情がある。超過料金なんてせこい事を言って人を困らせるべきではない。 と言いつつも手荷物にはなるべく重たいものを背負って申請する重量を減らそうと言う涙ぐましい努力をする。 本音のひとつを言うと同行者を誘うのは私の荷物を分担する目的もある。 ところが昔　アホなおっさんが訳の分からん石像などと言うものを買い込み、それだけで４０ｋｇにもなった。 お前を連れて来たメリットなんか無くなってしまったじゃないか。逆にわしらに負担を掛けてる。 こんなおっさんは絶対に同行させない。
　とにかく旅の最終日である。手持ちの金もなくなっている。その時に五万　六万円の負担はきつい。死活問題である。 本当に手持ちの金がない時は一体どうすれば良いんだろう。考えてみれば空恐ろしい事だ。 今回はたまたまクレジットカードが使えたが、私のカードは残高ゼロで使用不可の場合は多々ある。 そんな場合はどうなるのだろうか。支払い能力のない場合、飛行機には乗せてくれないのだろうか。 所持金もないまま、空港に置き去りにされ誰も面倒も見てくれないまま野垂れ死にするしか他にないのか。 あるいは超過分の荷物は放棄されて手元に届かず廃棄処分される事に同意しなければならないのだろうか。 あまり誰も真剣に考えた事のない事項だと思うが私の場合は現実に起こり得た問題だ。
タイ航空ももう少し臨機応変な対応をして欲しいと思う。 「そうか　ナカムラジンと言う客は三十年以上に渡り我が会社を贔屓にしてくれているんだ。 それに荷物が超過したといっても遊び道具や訳の分からん代物を買い込んだ訳でもないのだ。 インドの古典音楽の楽器か。そうう言えばタイもインドからは大きな影響を受けている。特に仏教はそうである。 そうか　このナカムラジンと言う日本人はそういう仕事をしているのか。なかなか奇特な奴である。 ならば５０ｋｇとか１００ｋｇは大目に見てやろう」なんでタイ航空はそんな粋な計らいが出来ないのか。 と言うよりも今までバンコックでの超過荷物のトラブルはなかったので今回もそうであろうと油断していた。 甘く考えていた。とにかく本音を言うと超過料金は一銭も払いたくない。 金がないと言う事以上にそれがお互いの心意気だと信じていたからだ。ああーーータイ人なんか信じて馬鹿をみた。 以後絶対タイ航空は乗ってやんないからな。 今後はインドに行く時はバングデッシュとかパキスタンとエジプトとか墜落してもなんの保証もない マイナー航空会社を利用してやる。
　チェックインする時、もし十個のカウンターがあるならば誰が一番気の良さそうな人間かを検討する。 ここが勝負の分かれ目だ。今回は無作為だった。つまり油断していた。 普通っぽいおねえさんだったが規則にやたら拘る奴だった。「はい　６０ｋｇオーバーですから １キロなんぼとして十万円です」「えっ　このおねえさん　何言ってるんだろ。まさか超過料金の話をしているのか。 この罰当たりめ！　このわしから金をふんだくろうとしているのか」と一瞬信じられなかった。 「そりゃないだろう。タイ人はそんなに意地悪な人間じゃないだろ」と涙ながらに訴えたが「規則は規則ですから。 はいここに書かれていますね、荷物はひとり２０ｋｇまで、分かってますね」と 念を押されると私も「そうだ」としか言えない。そんな規則なんてくそくらえだ。 お互いの事情を暗黙の了解でそっと見過ごしてくれる筈じゃなかったのかい。
　小耳に挟んだ事なんだけど、タイ−日本間を移動する日本人は今までＪＡＬを優先的に利用して来た訳であるが ＪＡＬが破綻して信用出来なくなったのでＴＨＡＩを利用するよになった。 その分だけＴＨＡＩは高ピーになったのではないか。人間　権力を手中に納め尊大になると碌な事はねぇ。

　取り敢えず　疲れていたし体力も気力もなく、必死に交渉する気持ちもなくなった。 クレジットカードが使えただけでも善とするか。
と言う事でイミグレーションとセキュリティーを通過して中に入る。あっしまった。手荷物の中にナイフを入れてた。 ビービーとブザーが鳴る。こりゃまあ仕方ないか。一応ルールである。 分かっていたのにこれもまた油断してしまった。係りのおねぇちゃんが「放棄して下さい」言う。 「持ち込みはしないが現地受け取りにして下さい」いうと「そんなシステムはありません」ニタニタと笑っている （因みに日本の国内線では可能である）。 「じゃぁ　要らないや」言うと自分で「放棄箱」の中に入れろという。極端に言うと自分の子供を自ら絞め殺す事を敢えてやらせて脇で見ていてニタニタていると言う状況である。 バンコック−成田間は同行者がひとりしかいなかった。 みんなそれぞれの都合があって別便で帰国した者もいたので全行程みんな一緒と言う訳にはいかなかった。 それはそれでこちらの都合なのだが、今回　酷かったのは同行者がみんなバラバラの席になってしまう事である。 突然　スタンバイで飛び込んで来た訳ではない。少なくとも　一か月以上前にグループで予約している訳である。 それをバラバラの席にするとはどういう事なのか。 旅の楽しみのひとつはいつもとは違う日常でいろんな感覚を伝え合う事なのだが、 相手が遠いところに座っていたんじゃその意味もない。一緒に旅をしているという意義が成り立たない。金　返せ！ わしらの旅を台無しにしたんだからな。と言うよりもその程度の座席配置さえままならぬ事なのか。わしら難民か！
　私の座席番号は６６のＢだった。まさか　Ｂとは。両側を見知らぬ人間に囲まれる席ではないか。 いや随分と後ろの方だからもしかしたら二席並びの場所かも知れないと疑心暗鬼のままその場所に行ってみて 愕然とした。ＡとＣの席に坊主頭のタコ入道がデンと座っているではないか。 それもふたり揃って汗臭そうな巨漢である。この間におれが座らなければならないのか。眩暈と吐き気がして来た。 私はとにかく人の間に座るのが嫌いなのである。新幹線でもＢしか取れない時はわざわざ別の便に変更する程である。 それがよりによってタコ入道の間の席とは。これは地獄か。おれが何の罪を犯したと言うのだ。
　いかつい顔のおっさん達が周りに何人かいる。たぶん坊さんのグループだろう。 後で気付いた事だがＡのタコとＣのタコは同じグループである。なんでこのおっさん達を並びの席に座らせないのか。 なぜ一席空けて他人を真ん中に座らせるのか理解に苦しむ。 なぜ我々はバラバラなのにこのおっさん達はこういう席の取り方をするのか。
　少しは個人の事情を配慮すべきである。窓側の席に座るとトイレなどにも行けないのだ。 いちいち「すいません」と相手を立たせてから狭いところを擦り抜けなければならない。 気の弱い人間だったらそれが言えなくて座ったままお漏らししてしまうかも知れない。 下痢などしてたら一体どうなるのか。考えて見ただけでも悪寒がする。顔見知りだとその遠慮もいらないだろうが、 赤の他人だとなかなか頻繁に声を掛けられない。そういう事を配慮して個人旅行者は通路側を優先すべきである。 表向き「サービス」とか「快適な旅」とかスチュワッデスは必要のない愛想笑いをしているけれど、 本当に客の事を考えているならこういう点を配慮すべきである。
考えるに「旅行」ってそんなに楽しいものではない。むしろトラブルの方が多い。精神的肉体的苦痛を強いられる。 なんでそんな思いまでして人は旅行なんてものをしたがるのか。 最悪の場合はコレラやチフスに罹って死ぬかも知れない。墜落事故で死ぬかもしれない。 他人が私のバッグに麻薬を入れて、それが見付かって十年も監獄に入れられるかも知れない。 人知れず死刑になっているかも知れないのにみんな脳天気に気晴らしの為、新体験の為と気軽に海外旅行をする。 何をどうしたいのか私には分かりましぇーん。
　とまあ　拉致された宇宙人のようにタコ入道の間で私は縮こまっていた。 二三日前から喉の調子が悪くて小さく咳をしたらＣのタコが「風邪ですか」と聞く。 「ええまあ」と答えると「マスクをして下さい」と言う。 「そんなものは持ち歩いていません」と気まずそうに答えると「それじゃ　これをして下さい」と 自分のバッグからマスクを取り出した。
　なんと言う横暴な坊主め。人にそんな事を強要できるのか。
それともこのご親切なご忠告に素直に従わない私が悪いのか。 とにかく私はマスクとかギブスとかサポーターとか人口呼吸器とかペースメーカーとか医療器具を身に纏うのが 大嫌いである。かつまた横柄で身勝手な人間も大嫌いである。 そのふたつが見事にコラボされた状況に陥ってしまった訳だ。 一応おっさんが差し出したマスクは受け取ったがそれ以上は無視して関心を示さなかった。 おっさん　むかついていたと思う。しかし私の方も咳が出る。もともといつも咳払いをする方である。 また咳をしたらおっさんからぶん殴られると思い必死で咳を堪えるがこれがまた至難の技である。 意識すると咳はもっと出るもんだ。それを必死に堪えているのはまさに地獄の試練である。 なんでこんなおっさんの為に私がこんなに辛い思いをしなければならんのだ。 風邪が怖かったら自分が旅行止めればいいじゃないか。その頃　Ａのおっさんは七色の高鼾を掻いて眠りこけていた。 両側からおっさんの総攻撃、なんで金払ってまでこんなに拷問受けにゃならんのか。 タイ航空　金返せ！責任者　出て来い！

　国際線では液体は５０ＣＣしか持ち込めない。ペットボトルの水も駄目である。テロ対策である。 一部の盲信者の為に世界中が迷惑している。 世界中で警戒体制を敷いてそれに掛かる人的時間的費用は膨大なものである。実に無駄な事をやっている。 人間は馬鹿である。その分を貧しい人達に費やしたら地球はもっと豊かになるのに。
　いつも言っているが私は「他人の都合の為に自分が不便　不愉快な思いをするのが極端に嫌いである」 こっちも邪魔しないからそっちも俺の邪魔をするなと言いたい。
タイ航空などは離陸して暫くすると飲み物や酒が配られる。 スッチュワッデスが配り始める一番近い席に座っていれば「早く酒をくれ！」とイライラする事はないが 満席だったり後ろの方だったりするとえらく時間が掛かる。 普段　気が短い訳ではないがこんな時だけは一秒でも待っているのが嫌だ。手持ち無沙汰である。 その解消策として以前は自前の酒を持ち込んで他人の都合に影響される事なく自分のペースでやれたが、 最近は酒の持ち込みは禁止されている。ただひとり５０ＣＣまでの液体は了解されている。 ５０ＣＣと言えばほんの僅かである。洋酒のミニボトルがそれに当たる。 それを二本用意して同行者に一本渡す事にしている。それで勝手にちびぢびやり始める。 そのうち正式に酒が配られるからこの分量は繋ぎみたいなものだ。 最近はこういう方法で他人の都合を克服して気楽にやっている。
　バンコック発　成田行きの飛行機は夜の十時半頃に出発する。 国際線のチェックインは二時間前だから八時頃には空港に着くことになる。家を出るのが七時頃か。 その時間帯で夕食を済ませてくる人はあまり多くないと思う。 「今　食べなくとも機内食が出るからいいや」と考えている人も多いだろう。
タコ二匹に挟まれて息苦しい思いをしている。咳をするとタコＣから殴られそうだから 必死に我慢して咳止めのつもりで貴重な５０ＣＣの液体を口にする。もうなくなりかけている。 「まあ　いいや、そのうち酒が配られるだろう。ゆっくり飯でも食って…でも今回もベジ用しかなかったら 飛行機から飛び下りてやる。目にもの見せてやる。 酒でも飲んで酔っ払って眠ってしまえばタコの事も気にならなくなるだろう。明日の朝は東京だ。 部屋に戻ってゆっくりしよう。猫達も待っているだろう」と気持ちを落ち着ける事にした。
　シートベルトのサインも消えスッチュワッデス達も動き始めた。菓子パン一個が配られた。 「あれおかしいな。いつもはいつもはちょっとしたつまみになるアラレの小袋なのに」 不審に思いながらタコに挟まれて菓子パンをボソボソと食う。それっきり機内には何の動きがない。 酒も出てくる様子もない。暫く待ったが何もない。そして機内は消灯となった。えっ　嘘だろ。 飯も出さん　酒も出さん　早々と照明を消して乗客を眠らせようとしている。こっちの都合は一切お構いなしだ。 私のように夕食を済ませていない客も大勢いるだろうに。これは詐欺だ！騙し討ちだ！これは予想外の展開だった。 タコに囲まれ　飯も酒も与えられず全ての楽しみを奪われてしまった。 腹が立つやら情けないやら、疲労困憊してしまって不覚にも眠ってしまった。Ａのタコの鼾が煩いにも拘らず。

　空が白み始めた。雲海の上に太陽が上り始めた。この二週間で私は日の出を二回も見てしまった。 行きはよいよい帰りは怖いだった。六時頃　成田に到着した。
　空港はこの日初めての発着だったらしくて人々の顔も態度もまだ眠たそうである。まだ少し寒い。 けれども安堵の気持ちが募ってくる。だがまだ最大の試練が待っている。この大荷物をどうやって自宅まで運ぶか。 今回は誰も来てくれない。こんな早朝だから人に頼むのも気が引ける。 ワゴンタクシーだったら全部荷物を運べるだろうが料金が高い。色々と予期せぬ出来事で金に余裕がない。 リムジンバスで一番近いところまでー新宿かー行ってそれでタクシーに乗って帰るか。 この荷物が一台の車に乗るか　思案のしどころであった。まだ幾つか仕事が残っている。 携帯電話の返却　今回初めて海外用を持って行ったが電波の届かないところもあって難儀をした。 でも結果的には持って行った方が良かったように思う。ロビーの一番端に新規の宅配屋があった。 営業を延ばそうと必死に客に呼び掛けている。朝から熱心な事だ。 「お客さん　開業したてなので正規の三割引です」と声を掛ける。 「これ楽器なんだけど運んでくれたら全部お願いしますけど」「ああ　いいですよ」と引き受けてくれた。 どこの業者も楽器は預からないと断られていつも苦労をしていたのだ。お陰でナップザックひとつの身軽な身となった。 荷物がないのだったら成田エクスプレスが一番早い。外はシトシトと雨が降り始めた。車内は空いていて静かだった。 冷たい窓ガラスに顔をくっつけてぼんやりと窓の外の風景を眺めている。「この旅　一体なんだったのだ。 もう少し楽しい旅になる筈だったのに。でもいい勉強になったか。 世の中ままならぬと言う事か」くよくよしても始まらない。今日からまた日常に戻る。明日には明日の風が吹く。 史上最悪のフライトだった。何事も油断してはならないと言う事か。次回はもっと有意義で楽しい旅にしたい。 アホは連れて行かない。もっと大人を連れていく。　ＪＩＮ